2010/01/28

台湾高速鉄道台南駅

台湾高速鉄道台南駅
 台湾高鐵(台湾新幹線)で最も不便な駅といって過言ではない台南駅。新市付近で台鐵と交差するのだから、そこに造っておけばいいのにと思う。まぁ退避設備込みの大きな駅だし、なるべく金のかからない土地にという意向なのだろうが。なお、駅の所在地は台糖の土地だったわけだが、経営の傾いた台糖を救済する意味があるかは知らない。

 駅はホームが三階、改札が二階、そして上の写真は一階。コンビニと回転寿司の店がある(他にも店はあったはず)。トータルで四度利用したこの駅で、コンビニでは必ず何か買っている。これから鉄道に乗るにせよ、台南市内に向かうにせよ、それなりの時間はかかるのだ。
 回転寿司の右側に出口があって、その先に無料のシャトルバス乗り場がある。無料バスに乗りたければ、買い物は避けた方が良いかも知れない。我々は二度ともタクシー使ったから問題ないけど。

台湾高速鉄道台南駅
 コンビニの左の方に乗車券売り場がある。
 しかし、言葉に自信のない人はここで買わずに、ちょうどコンビニと向かい合う位置の自動券売機を使った方が良い。最低限の用語とクレジットカードさえあれば、簡単に切符を買える。窓口は行列が出来て面倒臭いし。
 商務車(日本でいうグリーン車)・標準車(普通車指定)・自由座(自由席)、あとは全票(大人)、その程度のことである。

 なお、台湾高鐵は時間帯によっていろいろ割引があったり、全席指定になったりと複雑である。基本的にはホームページの時刻検索で「優惠」の欄に何か書いてあったら割引という意味だ。「85折」なら15%割引である(時刻検索では割引後の料金が表示される)。「65折」だと自由座より指定の方が安くなる。
 台南から乗る場合、正月でもない限りは自由座で問題ないが、全席指定(自由座の料金が表示されない)の時はちょっと問題である。可能であれば台南到着時に帰りの切符を確保すると安心だろう。ネット予約は却って煩わしいだけだと思われるので、おすすめしない。

台湾高速鉄道台南駅
 無事に切符を買ったら二階へ。
 この写真を撮った位置で振り返れば、さっきの回転寿司が見えるような位置関係だ。まぁここを見るがよろし

台湾高速鉄道台南駅
 二階の改札口。確かフランス製の自動改札機が並ぶ。
 この改札機がなかなかくせ者で、決まった方向に切符を通さないとダメ。しかもその決まった方向が、一見すると裏側にしか見えない。矢印の書いてある方が表なのである。

台湾高速鉄道台南駅
 この日(2009年8月15日)は34度だそうな。台南は熱帯だけど、夏は京都より涼しいかも知れない。
 それはともかく、野球のボールである。

台湾高速鉄道台南駅
 台南といえば台湾プロ野球の統一ライオンズの本拠地である。いつも本を買ってる博客來網路書店も、台湾国内のセブンイレブンも、統一企業グループだ。その本社は台南市の隣の永康市にあるわけだ。
 こいつは新幹線を降りて改札をくぐった二階正面に鎮座している(後ろのエスカレーターは、さっき紹介したもの)。他にもあちこちでこいつの顔を見ることが出来る。八百長でボロボロの台湾プロ野球、今回は唯一逮捕者を出さなかった統一セブンイレブンライオンズ(実はこれが正式名称)とはいえ、前途は多難だろう。
 ともあれ台南駅はこんなところでござる。あんまり台湾的な雰囲気はなくて、日本の最近の新幹線駅と大差ないのでは、とも思うのだが。

2010/01/26

阿松割包(台南市中西区)

阿松割包(台南市中西区)
 以前に紹介した水仙宮仙草茶の隣が阿松割包だ。
 割包といえば、神戸の南京町で「チャイニーズバーガー」なんて名で売られているけれど、あれはちっとも美味しくない。なのでガイドには紹介されている(台南・ダイアリーにもあるよ)けれど、5月の時はパスした店であった。

阿松割包(台南市中西区)
 しかしいろいろ褒められているし、一度は食べてみるべきではということで、hashiが買いに行く。derorenはその間、富盛號の行列に並んでいた。

阿松割包(台南市中西区)
 で、とりあえず無事にテイクアウト。小奇麗な箱入りだ。

阿松割包(台南市中西区)
 が、開けてびっくり。hashiが買ったのは豬舌包(豚のタンの割包)であった。最初なので普通のヤツが良かったのに……と言ったら、早口のおばちゃんに言われるままにうなづいたらこうなったらしい。ビニール袋入りのスープもついていた。
 まぁともかく食べてみようということで、かじってみた。

 結論は、豬舌包はやめようというところ。
 いや、作りたてなら温かくてうまいのかも知れないが、冷えるとタンは少し臭みがあった。買った当人のhashiが、二口ぐらいでやめてしまったので、あとは私が食べた。
 酸っぱいキャベツとタン、そして甘いピーナッツクリームが塗ってある。パンの部分はなかなかうまいし、甘さも問題はない。次は普通のやつにしたいなぁ(次があるかは微妙)。

2010/01/25

水仙宮(台南市中西区)再訪

水仙宮(台南市中西区)
 ある意味では台南名物といっていい水仙宮。市場に埋もれたこの宮を、前回に続いて訪問した。もちろんそれは、昼飯を買うついでである。

水仙宮(台南市中西区)
 まぁしかし、あえて再び載せたのは、前回よりマシな写真が撮れたからである。そもそも前回は中に入ってなかったし。
 内陣はけっこう絵になると思う。なんとも重厚な雰囲気だ。

水仙宮(台南市中西区)
 水仙尊王である。
 火事が起きたらひとたまりもない市場の中心で、水の神は何を思うだろう。「俺は消防士じゃねーゾ」とか眠れぬ日々を過ごしていたりはしないよな。うむ。

2010/01/24

開基共善堂(二) 天皇殿の神々(追記あり)

開基共善堂
 開基共善堂は門と正殿が一体化しているので、中にこういう空間がある。
 まぁこの構造自体は何も珍しいものではない。わざわざ載せたのは「玉勅天皇殿」という文字が気になったからである。
 天皇という呼称は元々中国由来なのだし、別にあっても不思議ではないのだろう。とはいえ、邢府千歳を祀ることと天皇の関係がいまいち分からない。

開基共善堂
 これは門神画を一枚の写真で済まそうというものである。もちろんちゃんとそれぞれ撮ってはいるが、いい加減読者も飽きたのではないか(見たかったらリクエストしておくれやす)。
 なお、ここの門神画は蘇天福の作である。蘇天福といえば太平天国関係の人……なわけはなく、高雄県在住の絵師のようだ。

開基共善堂
開基共善堂
 この御両人はどなたであろうか。誰か教えてくだされ。
 造形から見ても謝将軍・范将軍ではない(両将軍は別にいる。(一)の写真に小さく写っている)。千里眼・順風耳なわけもない。先導役なのは分かるけど、

※董芳苑『台湾宗教大観』によれば、王爺の側に立つ神は剣監(左)印監(右)、あとは謝将軍や范将軍などが多いらしい。
 一方で、王爺廟の門神は秦叔宝と尉遅恭(どちらも唐建国の功臣)とする資料もある。下で紹介しているブログもそう書いているので、ここの門神はそうなのだろう。
 どうもネットで見る限り、韋駄・伽藍とあんまり違いがなさそうな絵が見つかる。要するに、ここまで紹介した門神画の中にも、彼らが相当数混じっていたということだ。明確な仏教寺院以外は、むしろこちらだったのかも。
 で、上の黒と緑はどうなんだろう。門神画は白黒だし、違う気がする。二人とも何も持っていないのが困ったところだ。

※大天后宮にポーズをとらない順風耳と千里眼がいる(色も同様の組み合わせ)。媽祖廟ではないからその二人ではあるまいが、格好だけで判断するのは無理のようだ。

 ここの沿革については、こちらのブログに詳細な解説がある。同じブログで広安宮の説明もしているようなので、合わせて読むと良いのではあるまいか(自分もこれから読むので曖昧な言い方)。

開基共善堂
 虎爺である。ここの虎爺はあまりにあまりな虎である。
 年賀状には使わなかったが、某研究会で披露したのはこれでござる。

開基共善堂(一) 邢府千歳

開基共善堂
 西門路と郡緯街の交差点で、何やら見知らぬ廟を発見した。共善堂という名のようだ。
 なお、我々の巡った廟の半分は、事前に何の知識もなかった場所である。まぁ「知っている」にもいろいろレベルはあるし、そもそも台湾の信仰全般への知識が足りていないのだから同じことか。

開基共善堂
 邢府千歳を祀るそうな。例によって神格は不明。
 千歳(王爺)には定まった祭祀過程がないようなので、名前では類推できない。想像出来るのは、邢さんという異常死者がいただろうというだけである。

 邢さんという異常死者といえば、『三國志演義』の邢道栄という人も多いに違いない……というのは無茶だろうな。道化扱いされて死んでいく悲しい人物だよね。

開基共善堂
 電光掲示付きである。
 考えてみれば、日本の寺社だってこれは可能なのだが、なぜやらないのかという疑問は抱かないものだ。無意識のうちに、寺社というパッケージには合わないと排除しているのだろう。
 まぁ日本の寺社は「古さ」を価値とするから、そう簡単には導入出来ないよなぁ。

開基共善堂
 邢府千歳は結構怖い。左の方が煙っているのは、まさしく煙である。

 なおネットを見ると、共善堂の邢府千歳は石精臼邢王爺と呼ばれ、米街広安宮の祭神だったという紹介がされている。そういう痕跡みたいなものは何も見えなかったけれど、もう少し紹介したいのでその(二)へ続く。

立人国民小学(旧台南第二公学校・宝公学校)

立人國小
 三山国王廟の向かいに立つ、日本統治時代の学校建築。台南第二公学校から宝公学校へと改名し、国民党時代に立人国民小学と改称された。
 立人とは中華民国の孫立人の名である。日本と戦った名将という触れ込みで改名しておきながら、当の孫立人は蒋介石に罪を着せられ幽閉されたわけだ。まぁ蒋介石政権の神格化失敗例というとこか。

 それにしても、中山と中正には正直うんざりだ。
 現在の日本が台湾を「台湾」と呼ぶのは、大陸政府が唯一の政府という立場なので「中華民国」を使えない事情による。だからそれ自体は何も誇れることではないが、敵の敵は味方みたいな感じで、「台湾共和国」派に与した形になっているのは、それほど悪くないだろう。
 こと地名や施設名において言えば、「中華民国」は大陸政府より幼稚で徹底した現人神崇拝を強制している。台南市と台南県の合併で、現実に不都合も生じるのだし(同じ市のあちこちに「中正」「中山」が存在してしまう)、元に戻すなり凱達格蘭大道みたいな名にするなり変えたらいいのになぁ。いい機会じゃないか。

2010/01/22

三山国王廟(三) 天后聖母祠

三山国王廟 天后聖母祠
 三山国王廟の向かって右側が天后聖母祠。その主祭神は(一)に触れた。
 この写真では、非常に見えにくいが門印に注目してほしい。右が「合埠」左が「平安」である。門神香座も拡大すれば辛うじて見える。



三山国王廟 天后聖母祠
 で、ここだけは門神を撮影した。なんといっても女性だ。実に珍しい。
 持っているのは鼎爐である。

三山国王廟 天后聖母祠
 こちらが持っているのは牡丹の花。百花の王である牡丹の花は平安富貴の象徴である。
 この門神はもちろん天上聖母、つまり媽祖自身ではない。二人はあくまで聖母宮に仕える宮女で、おめでたい呪物を持っている。

三山国王廟 天后聖母祠
 桃の彫刻。媽祖と言えば桃でござる。

三山国王廟(二) 韓文公祠

三山国王廟
 五月に続いての訪問となった三山国王廟。前回は台湾三日目で、そろそろ台南にも慣れてはいたものの、見逃し多数であった。
 というか、今回も見逃しまくっている。特に特徴的な門神をほとんど見逃してしまったのは残念である。首相大飯店に泊まって阿憨鹹粥にサバヒー粥を食べに行けば、無名豆花の前を通ってここまで散歩コースだし、次回も何とかして訪れたい。

三山国王廟 韓文公祠
 で、前回はほとんど見なかった韓文公祠(向かって左側)を拝見する。
 印が彫られていることにお気づきだろうか。これは「門印」である。右が「財喜」、左が「登門」で、まぁここの祭神の性格を示していると言えよう。

 ついでに、左右の下の端、門の柱に焦げたような痕が見えるのは、門神香座である。門が開いているので写真には見えないが、閉じている時に門神へ香を供える場所だ。
 ここの門神は韓文公の侍者で、剣と璽を持っている。

三山国王廟 韓文公祠
 中に入ると井戸がある。台湾に渡ってきた潮州の人たちが掘った井戸で、三百年前のものだとか。覗いてみたら今も水がたまっていた。

三山国王廟 韓文公祠
 で、ここはオジサンたちが談笑する場である。
 言葉が通じないので恐る恐る足を踏み入れたわけだが、オジサンは親切にあちこち指差してくれた。中でもおすすめらしかったのがこの彫刻であった。我々は大袈裟に頷いたりシェーシェーと言いながら、さっそく眺めて見る。
 掘られているのはカニだった。

三山国王廟 韓文公祠
 カニの甲羅は「科甲及第」、要するに受験に合格するという寓意らしい。
 いかにも主祭神にふさわしい彫刻である。これも清代のものらしい。

三山国王廟 韓文公祠
 そして韓文公を拝む(ここだけは前回も拝んでいた)。
 韓文公とは韓愈のこと。潮州刺史に左遷された時に、教育文化の発展に大いに寄与したとのことで祀るらしい。地方にやって来た有名人という感じの扱いに思える。
 さしずめ我が地元なら芭蕉神社ってことだろう。

2010/01/20

開基玉皇宮(五) そのほか

開基玉皇宮
 二階の端にはコンパクトな塔があるぞ。

開基玉皇宮
 これも二階。どこかの老街のように雰囲気があるけれど、並んでいるのは廟である。何というか、ここは神々のアパートである。

開基玉皇宮
 広場を望む。
 そんなことで我々はこの宮を去った。

開基玉皇宮(四) 主に二階

開基玉皇宮
 この記事に載っている写真は、間違いなく開基玉皇宮内であるが、何も説明出来るものはない。あらかじめ謝っておくのであった。
 上は三官大帝。

開基玉皇宮
 二階に昇ったら、団体がいた。
 この団体の詳細は知らないが、知っている人がいてもあまり興味はない。八八水災の祈りなのか、定例のものかも知らない。

開基玉皇宮
 二階正面、上の団体が拝んでいる先である。
 玉皇上帝だ。
 どうでもいいが、扁額が李登輝だ。

開基玉皇宮
 玉皇四殿下。誰でしょうか。

開基玉皇宮
 文衡聖帝だ。ここでもちゃんと生誕を祝っている。

開基玉皇宮
 大歳星君。斗母星君なので、要するに一階の中斗と一緒に祀られていたお方である。

2010/01/14

開基玉皇宮(三) 北斗と南斗

開基玉皇宮
 玉皇宮で最も祈祷が盛んなエリアは、玉皇上帝を祀る本殿の左側にある。
 中央は斗姆星君と中斗星君。そして奥には南斗聖君という文字が見える。斗姆星君は天壇の斗姥元君と同じで、星たちの母なる神。で、北・中・南の星の神が配されるわけだ。

開基玉皇宮
 中斗の前に置かれたもの。

開基玉皇宮
 一般に南斗は生を、北斗は死を司る。じゃあ中斗は?
 まぁ生存中全般ってとこだろうか。

開基玉皇宮
 いちばん賑やかなエリアは南斗である。赤ちゃんを連れた一族郎党の姿もあった。
 この写真では、水色の服の人と左の黒い服の人が夫婦だと思われる。水色の人は何もふんばっているのではなく、手前から黒い部分を歩いて反対に行き、そこで祈祷を受けているようだった。黒い部分の下には供物らしきものと蝋燭などが見える。

開基玉皇宮
 同じ家族の祈祷で、今度は女性が受けている。
 後ろから見た時に、男性は何かを抱えていたので赤ちゃんかなと思ったが、布にくるまれてはいるものの子どもではなかった。南斗の前でこうした祈祷をするのだから、子宝が恵まれることを願っているに違いない。

2010/01/06

開基玉皇宮(二) 玉皇上帝

開基玉皇宮
 そんなわけで八月旅行の最後の大物、開基玉皇宮だ。
 この辺の廟は、縣城隍廟といいここといい、大樹が目印になっている。一番下に要らんものが写ってしまったのは気にしないでくれ(upしてから気付いた)。

開基玉皇宮
 首相大飯店から徒歩五分以内の距離。広い道には面していないし、観光ガイドにもほとんど載っていないが、ここはいつ訪れても活気がある。

開基玉皇宮
 やはりそれは玉皇上帝を祀るためであろう。
 なんといっても道教の最高神である。

開基玉皇宮
 台南では、現世の願いは天壇かここに頼むらしい。
 なので朝からそこら中で祈祷が行われている。この夫婦の願い事はなんなのか不明。赤ちゃんを連れてくる家族も目立つので、元気に育つようにという(日本でもよくある)祈祷もされているようだが。ともかく詳細は(三)にて。

 なお、ここでの写真は設定ミスにより全体的に汚いのでご容赦くだされ。