2011/02/28

公園國小前の南無阿弥陀仏

台南の南無阿弥陀仏
 首相大飯店から公園路を北に向かうと、やがて公園國民小学が目に飛び込んでくる。その前には電話ボックス型の「寺院」があった。
 恐るべき小規模ながら、ちゃんと膝をついて拝拝できるようになっている(台湾の寺廟では、あの赤いヤツに膝をつく)。まぁ日本でも道端に小さな祠がある例は珍しくないが、この風情のかけらもない辺りがさすが台南だと感心する。

 どうでもいいが公園国小のホームページは、私が見た幾多のウェブサイトの中でも一二を争う見にくさである。日本でも、だいたい小中学校が作ったホームページは、無意味に文字が点滅したり音楽を流したりと、素人臭さに溢れる例が多いけれど、そんな強者も裸足で逃げ出すだろう。
 特に「學校簡介」の酷さは、いくら学校のホームページでも、もう少し考えてもらいたいレベル。せっかく学校の沿革が、日本統治時代とその後に分けて紹介されているのに、フラッシュでダラダラ流れて読むこともできないのだ。読者の皆さんも、ぜひその凄さを実感してほしい

台南の南無阿弥陀仏
 話題が激しくずれてしまった。
 まぁこの「寺院」については、阿弥陀を祀ること以外は分からない。

2011/02/25

またもや書き換え中(雑談含む)

 腹痛はまぁおさまったので、古い記事の幾つかをまた書き直している。
 2009年5月の記事は、とにかく不満だらけである。当時はまぁ、日本語で写真を載せたページを作ろうぐらいの意識だったし、数をかせぐ目的もあった。しかし、ブログ訪問者がその時の記事だけを読んで去ってしまっては困る。
 最近書き替えた記事には、次のものがある。

台湾府城隍廟(一) 七爺・八爺と城隍神
 城隍神の説明がおざなりだったので追加。当時の知識がその程度だった。 

台湾首廟天壇(一)(台南市中西区)
台湾首廟天壇(三) 武聖殿と驟雨
 天壇関係は、写真の説明自体に間違いがあった。どちらも大幅に増補して、まぁガイドと呼べる程度にはなったと思う。

北極殿(一) 明の守護神
 こちらも写真の取り違えがあった。写真追加、説明も大幅に追加。

開基武廟
 三訪の記事に併せて写真追加、説明も書き替えた。

 細かい修正は他にもやっているが忘れた。書き替えた場合はその旨を記しているので、見つかったら、derorenはコソコソやってるなと笑っておくれやす。
 今後、東嶽殿の記事を書き替える予定。2010.5訪問時の記事を加えるので、それに併せて過去の内容も改めたい。
 予告なしの書き換えはどんどん行なうので、ご了承くだされ。

西華堂から見た景色
 西華堂にて。さみしいのでイメージ画像をば。


 それにしても、ニュージーランドの地震はいろいろ考えさせられる。我々はツアーに参加しないので、何か起きた際に即座に居場所を伝えられない可能性があるわけだ。
 もちろん航空チケットを買う際には滞在地を伝えるし、入国時に宿泊先も書いている。親類にはちゃんと、deroren自作の旅行日程表を送ってある。携帯電話も、何らかの形で所持している。
 とはいえ、街歩きの最中に何かあったなら、具体的な滞在場所までは分からない。歩いてたら崩れた壁に……なんて話は勘弁願いたいなぁ。

2011/02/23

西華堂(四) 望むらくは平穏な日々

西華堂
 何度も書いているが、私は台湾の仏教寺院の空気を好む。そう言いながら肉食の後に西華堂を訪れるのだから、所詮は迷惑な訪問者でしかないのである。

西華堂
 西華祖堂碑記。華厳世界東港乾坤……とか書いてあるので、紹介しようと思って写真だけは載せてみた。が、ちょっと諸事情により今はパス。

 諸事情……というか、実はderorenは昨夜遅くに激しい腹痛に襲われて、朝から病院通いとなったわけである。診断結果は直腸ガン……でも腸閉塞でもなく、腸炎でござった。便が出る腸閉塞はさすがになかろうと思ったが。
 発症から23時間ほど経った現在は、ほぼ治っているけれど、あんまり難しいことを考えたくないので、パスでござるよ。

 なお、この寺院の開基を記した石碑が、サンダル置き場になっていることにも注目してほしい。日本ならあり得ない光景である。
 もっとも、サンダルは修行者が履くアイテムなのだ。こんなものを置くな、という「こんなもの」には当たらないという考え方も、分からなくはない。

西華堂
 hashiの腕に巻いてみた幸運繩。堂内を見学していた時に、我々を見つけた若い尼さんが、我々に授けてくれたものだ。derorenの腕は通らなかったけど、何にせよありがたいことでござる。
 病院で半日過ごしたあとに改めてこの写真を見ると、なおさらありがたいのである。

西華堂
 hashi撮影。陽射しの強い日の朝だ。

西華堂
 実は背後には教会があったりする。手前でこんもり茂るのは龍眼である。

 訪問時は龍眼や蓮霧は花の盛り。蓮霧はいつでも咲いてるし、いつでも実ってるけど、ともかく食べ物の木が多いのもいい。ああ、最後は結局そんな話になってしまった。今日明日は、お粥かうどんしか食べるなと言われてるのになぁ。

2011/02/21

開基武廟の門を眺める

開基武廟
 軽く書けそうなところから落ち穂拾い。
 抽籤巷街の開基武廟、三度目の訪問……というか、この時は門しか見ず。

開基武廟
 正規の門はこちら。工事はもう終わっただろうか?
 いずれにせよ小さな門だが、屋根は左右にやたらと尖がっている。日本でも男の神様の社殿は尖るけど、やはり武廟だからなのかな。
 
開基武廟
 非常に地味だが、この廟の格式をあらわしているらしいのは、扉に埋め込まれた門釘だ。台湾の場合、普通なら門神が描かれる場所である。
 ここは「祀典」に載らない廟とはいえ、遜色ない格にあることを示すらしい。祀典武廟のように大きな門釘ではない(リンク先の「大丈夫」の写真を御覧あれ)が、修復中で取り外されているのかも?

開基武廟
 担いでる人も勇ましい。
 まるでラッシャー木村がアニマル浜口のコスチュームを着たようなビジュアルだ。

開基武廟
 こんな顔で「えー、こんばんわー」とか言わないだろう。きっと「気合いだー」だろう。

2011/02/18

台南の犬(と私事)

台南の犬
 表題に「お前は」を加えようかと迷って、やめた。誰が「お前」なのか判然としないからだ。

 犬嫌いのderorenは、犬好きのhashiと二人旅ばかりしているから、仕方なく犬の写真も撮っていた。ふと撮影した写真を見返して、載せようかという気になったので、その気が変わらないうちに公開する。

 なお、derorenとhashiの二人旅は、去年の台湾をもってしばらく休止となった。
 リアルな知り合い方面にはある程度伝わっていることだが、間もなく三人目が加入する運びとなった。両親に負けない奇妙な名前でいずれ登場のあかつきには、生温かい目で見守っておくれやす。

台南の犬
 未紹介の市場の看板犬。
 衛生観念ってなんだろうと思うのは私だけではあるまい。まぁderoren的にいえば、犬と一緒に食事する時点で発狂レベルだけどね。

台南の犬
 何の変哲もない写真のように見えるが、アスファルトの窪みに赤いものが挟まっている。
 それは爆竹だ。
 つまりここは、廟の前なのだ。

台南の犬
 この写真は概略を書いた時に載せた。カメラ目線で見つめられようが、derorenは犬が嫌いだとつぶやきながら、犬にも勝る自分勝手な生物を迎えるべく、部屋を片づけている現在。
 その生物はいずれ礼儀を学ぶ……けれど、それを教えるのは他でもないderorenなんだよな。嗚呼。

2011/02/15

飲んで移動してまた飲んで(嘉義→桃園)


 北港鎮での見学を終えて嘉義に戻った我々は、ホテルをチェックアウトして昼飯を食べに噴水円環方面へ向かう。その辺の顛末はホテルの記事と、郭家雞肉飯の紹介記事に書いた(おおまかなことは概略を読んでおくれやす)。
 最後の台湾飯に腹を満たした我々は、タクシーを拾う前に飲み物を調達する。非常に分かりづらいが、上の写真の右側に見える店だ。

客中歇
 客中歇という小さなスタンドで買ったのは、例によって珍珠奶茶。時間がないので悩まずに頼めるものを選ぶと、いつも同じ飲み物になってしまう。でもいいじゃないか。うまいんだし。
 なお、店内の写真も撮ったが、あまり載せたくない感じだったので秘匿しておく。まぁ舞台裏は見ない方がいいものだ。


 そんなわけで高鐵嘉義駅から乗車。
 高鐵のホームはどの駅も変わり映えしないので、載せようという気力が湧かない。ホームから見える景色まで似たようなものだから、余計に萎えるのよね。


 で、車内で飲んだお茶だ。
 え? 珍珠奶茶はどうしたって?
 決まってるだろう。駅に向かうタクシーの中で飲み干したぜ!

 なお、このお茶は「日本ハリマ製薬」云々の注記がある。調べてみたら、ハリマ製薬という会社は実在する。まぁ黒松は怪しいメーカーではないので、適当な日本語ってことはないだろうと思ったが(黒松飲料も何ら怪しくはない)。

統聯客運バス
 高鐵桃園駅からは統聯客運で空港へ。この時は当たりでふかふかシートだった(ビニール皮の堅いシートもある)。
 もっとも、何となく清潔感に欠けるこのシートよりも、清掃の手間を省いたビニールシートの方がマシという考え方もある。長距離バスだったらどっちもなぁ……というコメントは、最初に乗った時も書いているぞ。


 そんなわけで何事もなく空港へ到着。時間に余裕があったので、書店で本を買ったり、レストランのメニューを物色したりしながら時間をつぶす。
 最後の写真は、hashiが撮ったトイレの衛生紙だ。なぜこんなものを撮影する必要があったのか、derorenは知る由もない。まぁ旅の最後を飾るにふさわしい一枚として、長らくおつき合いいただいた読者諸君に贈る。

 今後の予定などは、次の記事にて。

北港朝天宮への進香団(十九) 大林朝傳宮編

大林朝傳宮の進香
 進香団シリーズも、一応これで最後となる。
 実は5月3日の進香団を一部端折っているので、もう少し書こうと思えば書けるのだが、このタイミングで3日に戻るだけのエネルギーはない。いずれ気が向けば……という感じ。

 で、最後に見学した一団は、撮影位置が門側ではなくなっている。これはもうタイムリミットで、帰ろうとした関係である。

大林朝傳宮の進香
 旗には高雄市とも書いてある。けれど白帽子の文字から朝伝宮と判断した。高雄から団体で向かうのはしんどいだろう。
 なお、絶妙な位置にオッサンが写り込んでいるのは気にしないでくれ。空の色で塗ってしまおうかとも思ったが、そこまで処理する価値もないからモザイクで済ませた。

大林朝傳宮の進香
 順風耳の行進。横から見ると何とも味わい深い。

大林朝傳宮の進香
 こうして先触れが通り、いよいよ神輿が現れた。
 ここは朝天宮の境内のわずかに手前の車道である。まぁ要するに三叉路の中心部分だが、神輿が通過しなければならない儀礼は、必ずここで行われる。他の場所でやったら大変なことになるから当然だが。

大林朝傳宮の進香
 手前の人々の中に、耳に手をあてている人が見えるだろう。
 そして神輿の下には赤いもの。黄色の服のメガネの人が、今にもやらかそうとしている。

大林朝傳宮の進香
 そして立ち上がる火柱。
 これはどこかの国のデモではない。

大林朝傳宮の進香
 キノコ雲が発生する。
 何というか、昔々のタイムボカンシリーズでよく見た光景を、リアルに経験した瞬間である。これが当たり前という感覚は、ちょっと嫌だなぁと思う。

大林朝傳宮の進香
 やがて大量の灰と煙が群衆を襲う。毎度のことだが、ここまでしなきゃいけない理由がよく分からない。
 かつて京都市内某所の祭礼を見学した時、神輿を回転させる際にバス停のポールを折ってしまった瞬間、大歓声があがったのを思い出す。神輿行列には、何となく派手で暴力的なものを求めてしまう気分が確実に伴っている。
 普段はできないことが、祭礼だからという理由で可能になってしまう。多少はそういう要素がないと、祭は続かないのかも知れないなぁ、と思いながら朝天宮を後にしたderorenであった。

2011/02/09

北港朝天宮への進香団(十八) 大林鎮水汴頭朝興宮編(六)

水汴頭朝興宮の進香
 その(五)で終わると言いつつ、まさかの続編。これは帰路の様子である。
 まずは両将軍の様子。媽祖が対面を果たしている間、守護役の将軍たちは門のところで休んでいる。ついでに十家将もくつろいでいた。

水汴頭朝興宮の進香
 対面を終えた媽祖たちが、バケツリレー方式で移動する様子。
 注目してほしいのは、右端に写っている香炉である。

水汴頭朝興宮の進香
 媽祖像などは、一つひとつこうして香炉をくぐって行く。
 以前に紹介したように、媽祖像が中で対面を果たす時にも、火渡りを行っている。内部の香炉は帰る時に一度のようだが、ここでは往復二度通過する例もあった。

水汴頭朝興宮の進香
 そうして神輿に神々が戻ると、帰路につくことになる。
 家将は軽く舞って去る。

水汴頭朝興宮の進香
 両将軍もぐるぐる回って、そして帰っていく。

水汴頭朝興宮の進香
 サービスカット。
 千里眼ファンのために全身ショットだ。マニア垂涎の一枚である。

水汴頭朝興宮の進香
 もちろん、もう一組の将軍たちも最後のダンスを披露し、ようやく媽祖とその一行の長い一日は終わることになる。
 長いといっても、北港で過ごした時間はせいぜい二時間だと思うけどね。

 さぁ、そんなわけで完全に時宜を逸した我々のリアルタイム紹介も、間もなく北港鎮編を終えて帰路となる。
 その後は少しマニアックな記事を幾つか書く予定。東嶽殿や玉皇宮の話や、媽祖信仰のことをじっくり書こうと思う。
 なお、最近も過去の記事を幾つか書き直している。府城隍廟と安平古堡については、基本データが欠けているので書き足した。他のガイドに任せた形の赤嵌楼についても、いずれ増補する。
 ついでに、googlemapもボチボチ更新中。ブラウザによってはうまく見れないようだが、暇な時に更新するぞ。

2011/02/04

ブログの多言語化は必要だろうか、他(雑談)

 bloggerの管理画面に「統計」という項目ができていることを、1月末に知った。
 さっそく見てみると、去年の5月からアクセス統計というのが始まっていたらしい(私の意志ではなく、bloggerが勝手に始めたことなので、実際の開始日は不明)。しかしデータとしては7月以降の数字しかないようだ。
 ともあれ、せっかくなので眺めてみたら、アクセスの国別統計があった。2010年7月頃から本日までの数字は、下の通りだ。

日本27,226 台湾3,361 アメリカ合衆国1,027 カナダ67 フランス65 香港51 大韓民国39 マレーシア37 タイ37 シンガポール35

 この数字には、実は謎の部分がある。というのも、この記事はデータを見つけた1月末に書きかけて放置してあったのだが、改めて表に出すためにデータを取りなおすと、韓国とシンガポールの数字が減っている(他はもちろん増加)。それぞれ1減っただけなので、大勢に影響はないのだろうが、いまいちどういうシステムなのか疑問がある。

 別途付けているアクセス解析と照らし合わせると、「アメリカ」の多くはproxyもしくはトロイの木馬の可能性が高い。台湾も一般的にはトロイの踏み台が多いらしいが、こちらはほぼ本物。つまり、だいたい訪問者の1割が台湾の人ということになる。
 もちろん台湾からといっても、台湾在住の日本語ネイティブがアクセスする場合も多いのだが、毎日確実に繁字体ブラウザの人が混じっている。載せている廟宇の中には、向こうのサイトでも稀な場所があったりするので、その辺の需要はそれなりに手堅いようだ。

 なので、ちゃんと中国語文を書ける力があれば、多言語化してみたいなぁという欲求もある。正直言って、今の語学力では厳しいけどね。
 本当は、中国語文で書くならむしろ京都のブログにすべきなんだよなぁ。どちらの需要が多いかなんて、考えるまでもないのだし。『都名所図会』を翻訳して紹介できたら面白そうだ。繰り返しになるが、今の語学力では厳しいけどね……。


 なお、当ブログはFC2とQLOCKのアクセス解析を付けている(FC2は一時期データが飛びまくったので、QLOCKを追加)。どちらも右メニュー内に設置しているので、数字が正確かは分からない(一般にはページ左上にタグを設置するものだ)。FC2はたまにアクセスの形跡がないのに拍手が押されていることがあったゾ。
 全般的にはFC2が一番数値が大きく、二番手がQLOCK、一番少ないのがblogger統計の模様。QLOCKは昨秋からなので比較できないが、FC2とbloggerは2万も違う。アクセス数が多いと嬉しい人はFC2解析がいいかも知れない。


 無駄話のついでに無駄話。
 南京町の春節は、やはり諸般の都合により行けそうにない。でもderorenは台湾成分を摂取したいので、春節が終わった後に一人で閑散とした町に繰り出す可能性大。
 それと、ブログの地図追加のついでで、googleマップ版のderorenのホ~ムペ~ジを作成中。何かのついでにしか更新しないので、役に立つ地図に育つかは微妙。というか、需要はあるのだろうか?

2011/02/01

北港朝天宮への進香団(十七) 台南慈興宮編

慈興宮の北港朝天宮進香
 まだ続く進香団シリーズ。宏天宮の橋本真也がハッスルポーズを決めている頃(そんなポーズはしてない)、後ろで出番を待ちわびていた次なる刺客である。
 まぁ旗持ちのオッサンのゆるい歩きっぷりを見ては、何の緊迫感もない。が、ここはここで驚くべき行列には違いなかった。

 なお、旗の後ろには小さな神輿が見える。何と、あの例の椅子だけを載せた神輿だ(手轎)。神座には毎度驚かされる。いや、さっき書いた「驚くべき」はこれじゃないけど。

慈興宮の北港朝天宮進香
 驚くべきは、これだ。
 なんとマーチングバンドが加わっていたゾ。

慈興宮の北港朝天宮進香
 幾多の祭儀と同じく、門前の庭で演奏するのだ。もう何というか、格好のわりに若くなさそうとか、そんな些細なことは問題ではない。台湾の祭礼はなんて発想が柔軟なんだ、と驚かずにいられようか。

慈興宮の北港朝天宮進香
 おばちゃんパワーなのか、みんな音楽好きなのか知らないけど、いつの間にか人でギッシリになった。すき間から覗くしかないので、カメラも縦向きばかりになってしまう。

 しかし、そんな狭い視界にもしっかり写っているオバサン。一番左でスーパーのカゴを抱えているのは、台湾の廟ではおなじみの線香売りである。
 ここは花売りは少なく、数人の線香売りがうろうろしていた。我々にも何度か近づいて、「またお前かよ」みたいに離れていく繰り返しだ。我々のように拝拝目的でない存在がうろうろしてる方が悪いんだろうけどね(ただし、もちろん我々も拝拝はしてるゾ)。

慈興宮の北港朝天宮進香
 バンド演奏が終わると、今度は一転して鄙びた演奏とともに動き出す。
 ただし、このオッサンの帽子は「新荘慈祐宮」で、後ろの神輿などと違っている。別の一団なのかは定かでない……けど、台北郊外の新荘からはかなり遠いので疑問である。

慈興宮の北港朝天宮進香
 最後は神輿。ちなみに台南の慈興宮は、安南区の北東端にあるようだ。

 この写真は、神輿をどのように担いでいるのかよく分かる。
 日本の神輿とは明らかに異なることには、すぐに気付くのではなかろうか。

慈興宮の北港朝天宮進香
 手前の担ぎ棒は、神輿からのびる棒と縄で括り付けてある。つまりこれは、本来は腰の位置で持つしかない神輿を、肩で担げるように工夫されているのだ。
 媽祖の神輿は、正確にいえば山車なので持ち上げることはできない。しかし肩で担がないと長い時間はとても持てないので、こういう方法が普及したのだろう。なかなか考えられてるもんだなぁ、と素直に感心した。