2011/08/30

台北艋舺の隘門が取り壊されるらしい

隘門
 台北の艋舺(萬華)地区にある古蹟「隘門」が、何と9月14日頃を目途に取り壊されることとなったという。
 最近は台湾映画「モンガに散る」の重要なロケ地だったこともあり、多少は観光客も訪れていた模様。しかし救急車両の出入りに支障があるというのが、取り壊しの理由らしい。
 反対の声が上がっているようだし、もしかしたら今後何かの動きがあるかも知れないけど、我々が去年訪問した古蹟が失われるとすれば、非常に残念である。

※訪問時に書いた記事はこちらを御覧くだされ

隘門
 移民の島であった19世紀までの台湾では、出身地別に連帯し、武装し、そして住居地区を要塞化することで自衛がなされていた。隘門はそうした時代の名残りである。

 龍山寺から徒歩3分とかからない至近距離なので、9月上旬に台北に出掛ける人は、その最期の姿を一見してほしい。
 実際に見れば、まぁ汚い祠みたいなものだけど、あの映画のファンにとっては特別な場所だろうし。

2011/08/28

限りなく唐揚げ的な鶏排を作ってみる

鶏排
 というか、唐揚げを作るはずだった。
 時間もないし面倒なので、市販の唐揚げ粉でさっと揚げよう……と思ったら切れていたので、やむなく地瓜粉の世話になったわけである。
 諸先生方のご尽力により、我が家には地瓜粉が未だに3袋もストックされている。いやまぁ、deroren自身が買ったものも含まれているけど、その辺の細かいことはさておこう。ともかく、ケチケチする必要はないので、単なる片栗粉の代用品として利用した。

 一応はレシピなぞも書いてみる。
 鶏肉は唐揚げ目的なので、胸肉ではなくもも肉。それを20分ほどタレに漬ける。タレはめんつゆ(3倍濃縮)、醤油(少し)、砂糖、おろし生姜だ。

 せっかくなので、衣は二種類試してみた。写真の左右の衣の違いが分かるだろうか?
 右は地瓜粉のみ。粉の上に肉を置いて、押しつけるように粉をまぶして揚げてある。
 一方の左は、タレ漬け中のボールに卵を落として混ぜ、その上で地瓜粉をまぶした。比較すると、卵のある方が衣が厚くなり、食感も若干よくなるようだ。
 手元のレシピ本には、どちらの揚げ方も書いてあったりする。どちらでも、鶏排っぽいサクサク感はしっかりある。

 で、食べた感想は、普通にサクサク衣の唐揚げだった。
 当たり前すぎる話だけど、鶏排っぽい調味料を何も使わなければ、こういう結果になる。まぁ普通にうまかったので、我が家では今後も作るのではあるまいか。

2011/08/22

赤子連れ台湾旅行計画(三) 長距離移動、そして未知の空間を体験

tomopee
 実家に帰省した。tomopeeは5ヶ月にして、初の長距離移動である。果たして無事に済むのかという不安の中で、ともかく旅は始まった。
 derorenの実家は遠いので、飛行機を乗り継がなくてはならない。早めに往復割引でとったとはいえ、その旅費はキャセイで台湾往復とほぼ同額だ。財布にもヘヴィな旅だぜ。

 伊丹からまずは羽田へ飛ぶ。そして乗り換え一時間で実家近くの空港へ。家を出てから6時間ほどで到着した。
 今回、大活躍だったのがスリングだ。着脱が簡単だし、機内でも使える。そしていざとなれば、布でtomopeeを覆い隠し、そのまま授乳ができてしまう。
 お盆ということもあり、機内には他にも赤ん坊連れが大勢いたから、わりと気楽ではあった。とはいえ、泣かれればプレッシャーはある。そんな時に、さっと授乳して落ちつかせることができたのは非常に大きな経験だった。
 もちろん、授乳したのはderorenじゃないけどねハッハッハ。

tomopee
 こちらは帰り。某空港ロビーで爆睡中だ。

 この日は大変だった。豪雨があがって、問題なく帰れるだろうと空港に向かったら、羽田が大雨でまさかの欠航に。で、慌てて鉄道に変更、親に無理を言って数十キロ離れた駅まで送ってもらう。
 ところが、駅に着く寸前にカーラジオが地震速報を流し始める。その瞬間に嫌な予感はしたけれど、とりあえずそのまま駅へ。しばらくは何のアナウンスもなかったが、結局地震で止まってしまい、ホームで待たされる羽目になった。
 やがて列車は動き出したものの、一時間半遅れの列車は途中打ち切りとアナウンスされ、一旦はその終着地での宿泊を覚悟する。が、近くに別の空港があったことを思い出し、実家に電話して調べてもらうと、夜に大阪へ向かう便があるという。すぐに座席を確保してもらい、列車を途中で降りてその空港に向かった。
 上の写真はその空港での写真。最初に実家を出てから、既に7時間が過ぎている。

 そうして確保した便は、関空行の臨時便。本来は伊丹行だが、遅延のために伊丹に降りれなくなった結果の便(伊丹空港は20:00以降の発着不可)で、お詫びに交通費と食事代をもらったゾ。別に我々は詫びられる謂れもないけどね。
 定員100名以下の小さな飛行機は、何事もなく関空に到着。そこから特急「はるか」で京都に向かい、さらに乗り換えて、ようやく家に辿り着いた時には日付が変わっていた。tomopeeはいきなり12時間もの長旅を経験してしまったのだ。

 そんな帰路も、スリングが大活躍だった。特に、母乳で育てている人の旅には、スリングが適していると思う。オススメだ!


 台湾旅行の前哨戦として捉えた場合、長距離移動そのものに関しては、正直言って自信がついた。台南への往復で困ることは、基本的にないだろう。tomopeeが病気になったら別だが。

 むしろ不安なのは、滞在中であった。
 実家に着いた初日は暑い日だったが、これも前哨戦のうちということで近所のお堂に拝みに行った。それは徒歩10分程度の距離で、言うならば首相大飯店から興済宮とか烏鬼井ぐらいまで歩いただけ……なのに、へばってしまった。tomopeeよりも、彼を背負うderorenにダメージがあった。
 その日の気温は、台南の5月ぐらいだ。もちろん、台南よりも湿度が高いので、より不快感が増すのは事実だけど、これで街歩きなんでできるのかなぁ、と後ろ向きになってしまった。


観音
 せっかくなので、そのお堂関係の写真。
 何十年も見慣れた景色だが、改めて見ると台南の仏教寺院(開元寺や法華寺)を思い出す要素もある。というか、日本でも珍しくないんだよな。

観音
 「湯殿山」の石碑。湯殿山は修験道(日本の民俗宗教)の聖地なわけだが、この石碑は左右に「行者 鐵門海」とあって、実はけっこう貴重なものだ。
 鐵門海とは湯殿山信仰の特徴である「即身仏」(生きたまま食事を断って穴に籠り、そのまま息絶えて干からびてミイラになった姿)の一人で、七五三掛の注連寺に、いわば仏像として祀られている。この石碑は、生前の鐵門海が、信者を集めるためにここにやって来た証だろう。

 まぁ湯殿山系の即身仏は、実は出自がアウトローな面々が多かったりする。そういう人々に居場所を与える一方で、勢力拡張のために過酷な行を強いた面は否めない(某有名な学者はボロカスに言ってたな)。
 純粋な信仰心だけでは、死を前提とする行はできないのよね。余談だけどね。

鶏頭
 口直しに、暑い夏の日にふさわしい一枚をば。



 長々と書いた最後に、素直な感想。
 我々は台南の小さな廟を訪れて紹介しているけれど、それは台湾人がこんな小さなお堂にやって来てブログに書くようなものなんだなぁ…と考えると、ものすごい違和感があった。
 我がブログは、ずいぶん無茶なことをやっているようだ。

 このお堂の由来を詳しく調べて楽しんでいる台湾人がもしもいたら、きっとderorenは友人になりたいと思うに違いない。うむ、意味のない言葉でおしまいおしまい。

2011/08/07

八八水災から間もなく二年

 逡巡しながらも旅行を強行してから、間もなく二年ということでもある。
 まさかあれ以上に酷い災害が、日本を襲うとは思いもよらなかった……けれど、災害の大きさを比較しても意味はない。いずれにせよ、被災地に穏やかな日々が戻ることを願うのみ。

tomopee
 相変わらず台湾旅行どころではない我が家は、五ヶ月tomopeeがついに離乳食を口にした。
 そうなのだ。今tomopeeを台南に連れて行くとすれば、離乳食問題も浮上するわけである。白粥なら首相大飯店の朝食にもあったけど、旅行時にどの程度の粥が食えるかは定かではない。

 まぁ、そういう心配はもう少し具体化してから考えよう。


首相大飯店
 おまけ。二年前の8月12日の朝だ。場所は首相大飯店だ。
 八八水災のニュースを見るつもりでテレビをつけたら、日本で地震が起きていた…という一枚で、「台南のホテルでも日本のテレビが見れるぜ~」という小ネタ用に撮った。従って何も狙ったわけではないが、今になって見返すと何とも言えない画面である。