台南豆知識

※思いついた時に更新されます

・「府城」って何?
 台南を紹介する際にしばしば使われる「府城」。これは台湾行政の中心となる「府」が台南に置かれた歴史による。府は城壁に囲まれた都市だから、府城である。
 具体的には鄭氏政権の頃に承天府、清の時代に台湾府が置かれた。清代の末期に台北にも府が設置され、その際に台南府と名を変えたことで、以降は衰退の道を辿ることになった。日本の京都とやや似た境遇と考えれば良い。
 まぁ観光客的には、「台北や高雄みたいなぽっと出の町じゃないぜ」という意味の言葉だと認識すれば十分だ。
※2010.12.26追加 初心者向け。トイレの話題から始まる構成もどうかと思ったので加えてみた。


・「府城」境界と門の位置(大雑把に)
小北門:公園北路・西門路三段交差点(小北観光夜市の近く、明徳国中)
 →公園北路(城壁址あり)→台南公園(城壁址あり)→
大北門:北門路・小東路交差点
 →小東路→勝利路(城壁址あり。小西門移設先)→
小東門:勝利路の成功大学地内(現存する城壁のすぐ南)
 →勝利路(台南一中に城壁址あり)→
大東門:現大東門
 →樹林路(大東門近くに城壁址あり)→
小南門:開山路・樹林路二段交差点
 →樹林路(台南女中の南に城壁址あり)→
大南門:現大南門
 →樹林路→台南新天地→西門路→
小西門:西門路・府前路交差点(小西門円環) 成功大学に移築
 →西門路→
大西門:西門路・民権路交差点
 →西門路→
小北門

※兌悦門は府城の外側にできた街を防御する門
※2011.9追加


・トイレで使った紙は流そう!
 台湾では使った紙(衛生紙と呼ぶ)を流さず、くず物入れに捨てるのが常識とされる。しかし汚物となった衛生紙の回収や処理のために、台湾では年間六億元(2010.7時点の日本円で約16億円)が費やされ、問題となっているという。
 現在の水道は水圧も上がっているため、台南市政府では、使った紙を流すよう呼びかけている。ただし極端に古いビルなど、下水管そのものが細い場合の問題は残る。また水に溶けないタイプの衛生紙が出回っている点も、懸念材料らしい。
 まぁともかく、いわゆるロールペーパー方式の紙は、気にせず便器に流すべし。
※2010.7 より正確に書き替えた。


・新「台南市」誕生
 2010年12月25日、別の自治体だった台南市と台南県は合併して大「台南市」が誕生した。旧台南市の区はそのままで、台南県の各自治体は台南市の区に移行。将来的には統合していく予定らしい。
 この合併は「直轄市」というランクに上がり、税収入などの恩恵が増えることを目的としており、観光客に直接の影響は生じないと思われる。旧台南市がそのまま新台南市の中心となるため、旧台南市の観光情報を載せる当サイトにも、現時点での影響はない。
 新台南市の初代市長は旧市や旧県と同様に民進党籍なので、その意味でも急激な変化はないのではなかろうか。
※2010.12.26書き替え


・台南の鉄道情報
 現在、台湾鉄道管理局(台鐵)沙崙線建設中。台鐵台南駅から二つ南の中洲駅を起点に、高鐵台南駅に接する沙崙駅までを結ぶ。2011年1月1日2日開通(中華民国100年を記念する形になる)。開通後は、沙崙-台南が21分ほどとなる模様。
 台鐵の捷運化計画(要するに通勤路線としての整備)では、台鐵台南駅周辺にいくつかの新駅が予定されている。ただし財政難等で実現するかは不明。なお、台南駅の北の大橋駅は、その一環で開業した。
 台南捷運(MRT)計画は、ほぼ頓挫した模様。高雄の惨状から見て、まず無理か。
※2010.12.26 沙崙線部分を書き替え
※2011.1.10 開業日が一日遅くなった模様

・日本時代の地名
 日本と台湾では地名の名づけ方が違う(日本は区域、台湾は通りで命名)ため、完全には重ならない。また日本式の住居表示が始まった時点では、現在のような道路網が完成していない。台南運河(港)に面した辺りや郊外では、ズレが激しい。
 間違いがある可能性は否定できないので、鵜呑みにしないように。
※2011.6.5訂正

北門路(台南駅より南):寿町一・二丁目 Kotobuki-cho
台南公園、西華堂付近:北門町一~三丁目 Hokumon-cho
成功路:明治町一~三丁目 Meiji-cho
中山路:大正町一~三丁目 Taishou-cho
公園路:花園町一~三丁目 Hanazono-cho
忠義路:白金町一~五丁目 Shirokane-cho
赤嵌楼付近(民族路は未成):台町一・二丁目 Dai-machi
民生路:錦町一~三丁目 Nishiki-cho
民生路周辺(西門路以西):港町一・二丁目 Minato-machi
民権路:本町一~四丁目(中山路~西門路)、高砂町一~三丁目(中山路~東門円環) Hon-cho,Takasago-cho
永福路:大宮町一~四丁目 Oomiya-cho
中正路(未成):末広町一~三丁目、田町(運河の近く) Suehiro-cho,Ta-machi
西門路:西門町一~五丁目 Seimon-cho
長北街(未成):宝町一・二丁目 Takara-cho
青年路:清水町一・二丁目 Kiyomizu-cho
西華南街(旧司令部):清水町三丁目 Kiyomizu-cho
開山路(未成):開山町一~三丁目 Kaizan-cho
府前路(未成):緑町一・二丁目(南門路以東)、南門町一~三丁目 Midori-cho,Nanmon-cho
国華街(友愛街以南):浜町一~三丁目 Hama-cho
大智街・南華街周辺:新町一・二丁目 Shin-machi
小西門の東側(旧台南監獄周辺):泉町 Izumi-cho
南門路:幸町一・二丁目 Saiwai-cho
兌悦門付近:入船町一・二丁目 Irifune-cho
普済殿付近:福住町一・二丁目
民権路三段:永楽町一丁目 Eiraku-cho
神農街付近:永楽町二丁目 Eiraku-cho
民族路三段付近:永楽町三丁目 Eiraku-cho
総爺街付近:老松町一丁目 Oimatsu-cho
台南公園の西側(旧砲兵隊):老松町二丁目 Oimatsu-cho
勝利路付近:竹園町一・二丁目
東門路付近:東門町一~四丁目
成功大学付近(旧歩兵第二聯隊):旭町一~三丁目 Asahi-cho


・皇太子の台南訪問(大正12年)日程
※資料 宮内庁書陵部蔵(宮内省本)『台湾行啓記録』(『台湾行啓記録』2009.3.31刊)
 宮内省本の本文は、台南の南門小学校訪問までしか書かれていない。以下に挙げるのは目次である。

 第三章 台南州行啓 其一
  第一節 台中駅御発車、北回帰線標御覧、並汽車中御昼餐
  第二節 台南駅御著車、並台南御泊所御著
  第三節 台南州庁御行啓、拝謁、奉迎文奉呈、並言上
  第四節 北白川宮御遺跡所御巡覧
  第五節 市立南門小学校学芸演習御覧附各小学校奉迎
  第六節 孔子廟御行啓、並祭踊御台覧
  第七節 台南師範学校、第一公学校、及第一中学校授業御覧、並御還啓
  第八節 御還啓後功労者御召出、並武技御覧
  第九節 台湾催物六種、並提灯行列御覧
  第十節 台南衛戌病院、開山神社、第一高等女学校、並盲唖学校へ御使御差遣

 第四章 台南州御行啓 其二
     (第十日 上)
  第一節 安平塩田御行啓、並御巡覧
  第二節 鹹水養殖試験場御巡覧
  弟三節 赤嵌楼御遠望
  第四節 台湾歩兵第二聯隊御行啓、拝謁、並御閲兵分列附防暑被服、並防蚊装置御覧
  第五節 嘉義神社、嘉義製材所、嘉義農林学校、並烏山頭へ御使御差遣

 第五章 高雄州御行啓 其一
     (第十日 下)
  第一節 台南駅御発車、並汽車中御昼餐
  第二節 高雄駅御著車、高雄御泊所御著、並御泊所貴賓館
  第三節 高雄州庁御行啓、拝謁、奉迎文奉呈、並言上
  第四節 高雄第一尋常高等小学校授業御覧附中学校、小公学校奉迎
  第五節 竹筏網打、並扒龍船競漕御覧、並御還啓
  第六節 御還啓後功労者御召出


※「摂政殿下の台湾行啓」(1932年刊『田健次郎伝』)より台南周辺の記述
 田健次郎は当時の台湾総督であり、案内役。従って、上記資料を補う内容となるが、台南に関する記述は少ない。
 注目されるのは、鹹水魚族養殖試験場で時間を超過したため、第二聯隊でのスケジュールが圧縮されたらしい点。そして、例の植樹に関する記述はない。植樹といっても、どうせスコップでちょこっと土をかけるだけだろうから、閲兵式の次第に入っていてもおかしくはないが。


 二十日午前八時半御旅館を立たせ給ひ、台中駅より御召列車にて台南に向ひ給ふ。列車員林駅を通過する際、駅傍にバナヽ市場を望見せしかば、田総督は本場菓実生産の御説明をなし、又濁水渓を渡るの際には、治水事業の概要を言上し、嘉義駅に於ては新元鉄道部長を招きて、阿里山鉄道建設の説明をなさしめ、総督も亦製材事業、本嶋森林等に就き其の豊富なる状態を概説し、其れより以南を駛走中は、嘉南埤圳工事の計画及び現状を御聞に達し、午後零時三十三分台南駅に御着ありて直に知事官邸の御旅館に御小憩の後、台南州庁に於て各官民に謁を賜ひ、次で北白川宮御遺跡、南門小学校、孔子廟、第一公学校、師範学校、第一中学校、公園等を御巡覧後、御旅館に還啓遊ばされ、夜間は提灯行列、藝[木+閣]等の催あり、特に台南の雅楽、技藝等は其の特長であつて最も御満足に思召された。
 二十一日午前中は、自動車を連ねて安平港に到り、小汽艇数隻に転乗して湾内を周巡し、鹽田に上陸して製鹽作業を台覧に供し、転じて鹹水魚族養殖試験場に入り、喜多殖産局長の御案内にて、場内を御巡覧遊ばされ、殊に科学的分類の説明は、深く殿下の御意に適ひ、御下問頗る密なりしに依り、予定時刻を過ぎたれば自働車の速力を加へて歩兵第二聯隊営に到り、殿下は特に馬に召されて閲兵式を行はせられ、正午台南駅より南行列車に乗御ありて、一時二十八分高雄駅に停車し、殿下は直に貴賓館に入らせ給ふた。




・鄭成功の頌(臺灣總督府編 公學校唱歌)
※資料 鄭道聰『小西門:台南前世今生』
 ただし同書掲載の際に一字欠落している(□の箇所)。

一、あーいさましや国姓爺  鄭成功のいさをしよ。
  君が父親名は芝龍    母は平戸の田川氏

二、朱氏の運命かたむきて  中原大方せめとられ。
  南の果てへきすうに。  僅かに余喘を保ちたり。

三、居ながら国の亡ぶるを  いかでよそ目に眺るべき□(恐らく「と。」)
  鄭氏一人身を抜きて。  義兵を募りて戦えり

四 大厦のついに朽がへる  一木如何でか支うべき。
  さかまき寄せる敵軍に  痛く打たれて破れたり

五、たとい社稜は倒るとも  首陽の粟は食むまじと。
  鄭氏は義兵を引きつれて 台湾島に渡りたり。

六、紅毛人等を追ひ払ひ   兵器食糧を貯えて
  とりで構ひ城を築き   時の到るを只待ちたり

七、あはれや天は斯人に   齢をかさず一朝に。
  十七年の艱難は     水の泡とぞなりにけり。

八、志業はついに成らざれど 明治の御代の御光に。
  君の偉功は現れて    開山神社の月清し。


※すべて現代音のひらがなで書くと以下のようになる

一、ああいさましや こくせんや  ていせいこうの いさおしよ。
  きみがちちおや なはしりゅう はははひらどの たがわうじ

二、しゅしのうんめい かたむきて ちゅうげんおおかた せめとられ。
  みなみのはて へきすうに。  わずかによぜんを たもちたり。

三、いながらくにの ほろぶるを  いかでよそめに みるべき(と)
  ていし ひとり みをぬきて。 ぎへいをつのりて たたかえり

四 たいかのついに くつがへる  いちぼくいかでか ささうべき。
  さかまきよせる てきぐんに  いたくうたれて やぶれたり

五、たといしゃしょくは たおるとも しゅようのあわは はむまじと。
  ていしはぎへいを ひきつれて たいわんとうに わたりたり。

六、こうもうじんなどを おいはらい へいきしょくりょうを たくわえて
  とりでかまい しろをきずき  ときのいたるを ただまちたり

七、あわれやてんは このひとに  よわいをかさず いっちょうに。
  じゅうななねんの かんなんは みずのあわとぞ なりにけり。

八、しぎょうはついに ならざれど めいじのみよの みひかりに。
  きみのいさおは あらわれて  かいざんじんじゃの つききよし。